【死】— 終わりという"門出"
ヒマラヤの風景は、私たちに「生」の輝きを教えると同時に、常に「死」の気配を感じさせてくれます。
風雪に耐え何百年も生き続けた巨木がある朝、静かに倒れている姿。
可憐な高山植物が短い夏を精一杯に咲き誇り、最初の霜と共に、潔く土へと還っていく姿。
そして、この地で生きる人々は、死を特別な悲劇としてではなく、人生というサイクルのごく自然な一部として静かに受け入れています。
私たちの多くにとって「死」は、人生最大の謎であり、最大の恐怖です。
それは、すべての終わり。愛するものとの永遠の別れ。そして、自分という存在が、完全に「無」に帰してしまうということ。
私たちは、その得体の知れない暗闇から無意識に目を背け、できるだけ考えないようにして毎日を生きています。
しかし、もし、その暗闇が私たちの思い込みに過ぎないとしたら。
もし、死が「終わり」ではなく、次なる世界へと通じる「門」だとしたら。
私たちはこの人生を、そして、自らの死を、まったく違う光の中で見つめ直すことができるかもしれません。
桜のように、潔く
この「死」というテーマに対して、かつての日本の武士たちは驚くほど真っ直ぐな視線を向けていました。
武士道とは、いかに生きるべきかを説くと同時に、「いかに死ぬべきか」を問う道でもありました。
武士道の経典とも言われる『葉隠』には、「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」という一節があります。
これは、死を急ぐ、ということではありません。
"いつ死んでも悔いがないように、今を生きる”という姿勢です。
死への覚悟を持つことで、逆に“生”がより鮮やかに輝き出す——
彼らが理想としたのは、桜の花のような生き様でした。
春にはためらいなく満開となり世界を祝福し、風が吹けば未練も執着もなく、潔く、はらはらと散っていく。
その散り際の美しさの中に、彼らは命の完成された姿を見たのです。
死とは、忌むべきことではなく、与えられた命を、誠実に、そして美しく咲ききった者が最後に迎える、誇り高い卒業式のようなものなのかもしれませんね。
ただ、衣を脱ぎ捨てるように
インドの叡智は、この「死」という門の向こう側にあるものをよりはっきりと、私たちに示してくれます。
聖典『バガヴァッド・ギーター』の中で、神クリシュナは、嘆き悲しむ王子アルジュナにこう断言します。
「肉体の主(アートマン)にとって、幼年期、青年期、老年期があるように、新しい肉体を得ることもまた、同じようなものである。賢者は、そのことに惑わされない」
そして、さらに、こう続けます。
「人が古い衣を脱ぎ捨てて新しい衣を着るように、肉体の主もまた、古くなった肉体を捨てて、他の新しい肉体に入るのである」
ここに、恐れに対する、最も直接的で、力強い答えがあります。
私たちは、この身体ではない。
私たちは、この身体という「衣」をまとっている、永遠で、不滅の、輝かしい「魂(アートマン)」そのものなのです。
死とは、消滅することではない。
それは、古くなった衣を脱ぎ、あなたの魂の旅路にふさわしい、次の新しい衣へと着替える、ごく自然なプロセスに過ぎない。
この真実を私たちは、心の最も深い場所ではすでに知ってるのかもしれません。だからこそ、この言葉は、これほどまでに私たちの魂を力強く揺さぶるのでしょう。
故郷への、帰還
日本の武士が示した、潔く、美しい「散り際」の覚悟。
インドの賢者が示した、身体を超えた「魂」の永遠性。
この二つの叡智が私たちの心の中で一つになるとき、「死への恐怖」は、「大いなる故郷への帰還」という、安らぎに満ちた感覚へと静かに変容していきます。
私たちは皆もともと、永遠の平和と愛そのものである、大いなる源からやってきた旅人です。
この地上での人生は、様々な経験を通して、喜びも悲しみも、そして失敗さえも味わい尽くし、魂の記憶を浄化して、再び、あの光の故郷へと還っていくための壮大で美しい旅路なのです。
死とは、その旅の終着点。
長い旅を終えた巡礼者が、懐かしい我が家の門をくぐるように。
私たちは、この地上で学んだすべてのお土産を胸に抱いて、愛そのものである大いなる存在の腕の中へと還っていくのです。
あなたの内なる、永遠の光
このことを頭で理解する必要はありません。
ただ、その「気配」を、あなたの内側で感じてみてください。
静かな夜、あなたの心臓の鼓動に、そっと耳を澄ませてみてください。
その、とくん、とくん、という、規則正しいリズム。
それは、あなたの意志とは関係なくただそこに在り続け、あなたの命を支え続けてくれています。
その鼓動の、さらに奥。
その音のさらに背後にある、静寂の中に。
決して揺らぐことのない、傷つくことのない、そして、生まれることも死ぬこともない、温かく、そして力強い「何か」の存在を感じられるでしょうか。
それが、あなたです。
それが、あなたの本当の姿。永遠の光です。
その光に気づくとき、私たちは、生きることと死ぬことをもはや恐れません。
なぜなら、そのどちらもがこの壮大な愛の物語のかけがえのない美しい一場面に過ぎないことを思い出すからです。
あなたの人生という一度きりの美しい物語が、その最後のページまで、愛と信頼の光で満たされていますように。